なんのために子育てをしているの?という愚問

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先日は臨床法学教育学会に参加してきて、
京都大学名誉教授の佐藤幸治先生のお話で印象に残ったことがありました。

アリストテレスが用いた、
活動(エネルゲイア)と運動(キーネーシス)の区別を基にした議論です。

ざっくり紹介してしまうと、

行為の中に目的そのもの自体を含むのが活動(エネルゲイア)、

ある目的のために行われる行為が運動(キーネーシス)。


旅をする際に、

旅そのものが目的であり、道中を楽しむのはエネルゲイアであり、

目的地に到達するための旅(というかただの移動)はキーネーシスです。

行けた行けないに関わらず、道中それ自体が目的であるエネルゲイアに対して、

キーネーシスにおいては、目的地にさえつけば道中は関心を示さないということになります。

なぜ山に登るのか、
という問いに対して、
「そこに山があるから」
というのはあまりにも有名ですが、
目的は登山にあるわけですから、山に登る理由を問うだけ愚問です。

このような目的を内包しているエネルゲイアこそ、
本来の人間的な行為ではないか、
と言われています。

目的達成の手段的な行為は、
代替可能であり、機械がやっても変わらないことです。
むしろその行為は人間の行動から疎外されていきます。


遊びについても、同様でしょう。

何のために遊ぶのか、という問いは愚問です。

遊びそれ自体に喜びや目的があり、
そこに価値があるのですから。

もちろん問いかければ、
・精神的な健康のため
・より上手くなるため
・気分転換のため
などなど、理由は出てくるでしょう。

しかし、遊びたいから遊ぶということが、エネルゲイア的になります。

それをすることによって同時に目的をも達成する行為が活動(エネルゲイア)です。


子育てもそうでしょう。

「何のために子育てをするのか」

などという質問を投げかけられたことはありませんが、

そこに子どもがいるから、

としか言いようがありません。


老後の面倒を見てもらうため?
夫婦仲を保つため?

そんなことではなく、

子育てをすること自体が目的であり、エネルゲイア的です。

それ以上の目的などいりません。
子育てをすること自体が喜びでもあり、価値あることだと感じているし、そこに子どもがいるから、する。

その活動の中に楽しみや喜びを感じていくものです。


学びにおいてはどうでしょうか?

これもエネルゲイア的な学びとキーネーシス的な学びに分かれるでしょう。

学びそれ自体が楽しく、
学ぶことや学ぶプロセスが目的である学びと、

とにかく学習結果にだけ焦点があり、
有名な大学合格のために苦痛を感じながら学んだり、
資格試験の合格のために学ぶものの合格さえすれば学んだ内容や過程はさっぱり忘れるような学びがあったりします。

当然ながら、人間的な学びは前者です。


仕事においてはどうでしょうか?

お金を得ること、生活していくために働くということは、
キーネーシス的になります。
ライスワークと呼ばれるような仕事です。

一方で、働くことそれ自体に楽しさや喜びなどを感じていて、
働くことが目的ともいえる仕事があります。
エネルゲイア的な仕事です。
ライフワークともいえます。

やりたいし、楽しいから、やる。


食事も同じです。

ただ飢えを満たすだけが目的であれば、
それは人工的な栄養物でも、
ファストフードでも、
安く早く済んでしまえばよいです。
その方が効率的ですから。
キーネーシス的です。

一方で、食事そのものが目的ということもあります。
手間をかけた料理を、
家族や友人と分かち合いながら、
ゆっくりとその味を楽しむような食事です。

そこにおいて、
何のためにという問いは愚問です。

食事を楽しむためであり、食事自体が目的なのですから。

生きるということも、本来的には、キーネーシスではないはずです。
何か別の目的のために生きているわけではなく、
生きることそのものの中に目的があるエネルゲイアです。

生きたいから生きる。
それ以上でもそれ以下でもないのではないでしょうか。

そういうところからスタートしていかないと、
人間はただの機械(目的達成のための手段)となります。

食べて、寝て、語って、遊んで、学んで、働いて、愛し合って、子どもを育てて、介護をして、スポーツをして。

行為の中に価値があり、
そのもののために行う。

何か他の目的のために子育てをしているわけでもなく、
何か他の目的のために生きているわけでもない。

そんなことを思います。


<まとめ>

■行為そのものが目的であるエネルゲイア(活動)と別の目的のために行われるキーネーシス(運動)がある。

■旅そのものが目的であり、プロセスそのものが目的であるのはエネルゲイア。
目的地に着くこと(結果)そのものが目的であり、そのために手段は軽視される移動はキーネーシス。

■人間的な行為とはエネルゲイアである。
子育ても、学びも、遊びも、仕事も、
本来はそれをすること自体に喜びも楽しみも価値も内包されていて、それ自体が目的となり得る。
そんなエネルゲイア(活動)をどれだけ大事にできているだろうか?

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