愛は与えることであり、もらうことではない 〜エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』〜
昨日に続いて、
愛は技術であるというフロムの考えをみていきましょう。
”成熟した愛は、
自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。
愛は、人間のなかにある能動的な力である。”(pp.40-41)
”愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
そのなかに「落ちる」ものではなく、
「みずから踏みこむ」ものである。
愛の能動的な性格を、
わかりやすい言い方で表現すれば、
愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。”(pp.42-43)
”あらためて強調するまでもないが、
与えるという意味で人を愛することができるかどうかは、
その人の性格がどの程度発達しているかということによる。
愛するためには、
性格が生産的な段階に達していなければならない。”(pp.47-48)
”愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
この積極的な配慮のないところに愛はない。”(p.49)
ここまでみてきたように、
愛とは能動的な活動であり、
与えるということや生産的だということに、
フロムの愛の理論の特徴があります。
愛の能動的性質の要素として、
配慮、責任、尊敬、知ということも挙げています。
相手と関わり、相手のことを気にかけることであり、
相手に配慮し、相手のことを知り、尊敬し、関わりにおいて責任を担うという要素があります。
受動的なものではないのですね。
恋は落ちるものですが、
愛は踏み込むものと言えます。
他には、
自分の全体性と個性を持ったまま、
というところも抑えておきたいところです。
愛されたい、寂しい、孤独だ、
という自分の満たされない要素から愛を求める傾向がありますが、
そういった依存的な関係ではないということです。
自分が1人の人間として自立していて、それ自体満たされていて、
その上で、自分の持っているものを与えること。
そこに愛をみています。
生産的なものであり、
誰かに与えたらなくなるというものではなく、
与えることによって満たされるという性質があるものです。
そうやってフロムの愛の理論をみていくと、
愛するためには人間的成熟が必要なことが見えてくるのではないでしょうか。
<まとめ>
■成熟した愛とは、自分の全体性と個性を保ったままの結合である。
つまり、満たされないもの同士が依存し合うものではない。
■愛とは能動的な活動であり、与えることに本質がある。
そのためには、生産的な段階の性格に発達していなければならない。
■自分の大切なものを相手に与える生産的な段階にあって、自立した存在。
それがあって、愛が生まれる。