1人の人を愛するということ 〜エーリッヒ・フロム『愛するということ 新訳版』〜
愛は技術であり、能動的な行動であり、与えること、生産的なことに特徴があるというフロムの説明をみてきました。
今回は、愛の対象について、です。
”愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。
愛の一つの「対象」にたいしてではなく、
世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。”(p.76)
”愛は本質的には意志にもとづいた行為であるべきだ。
すなわち、自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。”(p.90)
”誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、約束である。”(p.91)
フロムは、愛の対象から、
兄弟愛、母性愛、異性愛、自己愛、神への愛
を挙げています。
それは兄弟愛をベースにしながら、
世界全体に対する自分の態度であることを明確にしています。
世界にどう関わるかを形づくるものであり、
意志であり、決意であり、決断であり、約束だと。
なかなか厳しい指摘もしています。
”愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。”(p.46)
自分にふさわしい人が現れたら愛せる、
という類のことではなく、
自分を愛し、周囲の人を愛する中から、愛が育まれていくというのがベースにあります。
自己愛は、利己主義や自己中心主義的なものとは違うということです。
自分の人生を大切にし、気を遣い、自分のことを知ろうとし、責任を持って生きようとすること。
そこに自己愛があります。
愛の対象は、誰か一人ということではなく、
自分も含めて、世界全体である。
それがフロムのメッセージとなります。
そして、
次のメッセージに、フロムの愛の見方が凝縮されているようにも感じます。
”一人の人をほんとうに愛するとは、
すべての人を愛することであり、
世界を愛し、生命を愛することである。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、
「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。”(pp.76-77)
夫婦の愛とは、
こういうところにあると思います。
一人の人を愛することを通して、
すべての人を、世界を、自分自身をも引き受けて、
そして愛していると言える状態。
そうやって夫婦関係が築かれているかどうか。
すべての人や世界を愛するように、一人の人を愛する。
そういう愛を実践しているか、
ということなんでしょうね。
では、いよいよ次回から、
どうやってそのような愛の技術を学ぶのか、
ということについて紹介してみたいと思います。
<まとめ>
■愛とは、世界とどう関わるかという態度のことである。
意志であり、決意であり、決断であり、約束である。
■誰か特定の対象「だけ」を愛するということではない。
自分を愛し、周囲の人を愛し、世界を愛するという態度がベースにある。
■その上で、ある人に「愛している」と言うことができる時、
それは、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるということでもある。