人間中心の教育観を乗り越える?
昨日の日本社会教育学会では、
社会教育や成人教育に関する教育原理についての発表を聞いてきました。
その中で興味深かったのは、
西洋の人間中心主義の教育理論に対する批判でした。
私たちは、
ついつい人間中心に世界をとらえます。
社会を変えるのも人間。
人を育てるのも人間。
自己を磨くのも人間。
特に「教育」ということに関していえば、
人に働きかけるのは人間ということになりがちです。
人と人との対話を通して学び、
自分の認識や価値観を変える。
それを、
自然の中の人間として見たときに、
別の教育理論が構築されるのではないか、というものでした。
自然の中の一部。
生態系の一部としての人間。
自己や人間が何かに働きかけるという主体の影響を排除し、
いわば、「生かされている」ということから生じる受身的な教育論。
まだまださっぱりわかりませんが、
「生かされている」感覚というのは、
多くのプロフェショナルが語ることでもあり、興味深いところでもあります。
「生きている」から、「生かされている」への認識変容は、
何かポイントのようにも感じます。
自然に育てられる人間というか、
自然中心に見たときの教育論はきっと別のものが立ち上がってくるのでしょう。
五感を用いた学び、
マインドフルネス、
ホリスティック教育、
スピリチュアルな学び、
身体的な学び、
そういうのとはまた違った形で、
自然中心に世界と教育をみてみる観点もありうるのかと思いました。
今は失われた学びなのかもしれません。
古くて新しいその世界について、
おそらく、頭でっかちに考えているとたどり着けず、
思考と感性をフル動員してみる必要があるのでしょうね。
<まとめ>
■人間中心主義の教育観を乗り越えてみるとしたら、
何が見えるだろうか。
■人がこの世界の中心ではないのだが、
どこかで教育理論は人間を中心にしたり、
人間社会を世界から切り取って考えがちである。
■自然の中の人間。
自然の一部。生態系の一部。
そういう観点から人間の生活を捉え直し、
学びと教育を考えていくと、
「生きている」から「生かされている」への意識変容が立ち現れてくるような気がする。