機械的なパラダイムの限界と自己解放

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(Photo by rawpixel.com on Unsplash)

昨日の「抑圧されたものを再解放するということ」についての一節、

それは、過去の自分を許し、新たなものを創造することでもあり、

どこかで潜るプロセスは必要だったのではないかなぁ、

と思うのです。

自分の内側から湧いてくることを言葉にしたものであり、
まさにこの数ヶ月間の自分の辿ってきた道でもあります。

そして、自己表現の喜びとビジネスの手法は、まさに密接に関係してきますねぇ。

時代の流れ、

社会の空気、

人生というものを考えるとき、

自分探しから自己解放へと次第に向かってきているのを感じます。

そもそも、
そういうものだったのだと思います。

自己表現や自己解放へ。

さらに突っ込んでいっているところでは、
自己や自我を手放した領域に踏み込んでいるものもあります。

仕事を通して、
自分を表現したり、自分を解放することができたとき、
それはいい仕事になりえます。

自分勝手だったり、
わがままだったり、
好き勝手という意味ではありません。

トップアスリートが、
その競技を通して自己表現をするのと同じような領域で、
高みに到達し得るということがあります。

自分を表現したり、
自分を解放して仕事をして、
その結果として誰かに喜ばれたり、
社会や世界に貢献しているとしたら、
それってとっても素敵なことだと思います。

なんというか、
自分の内側にあるものを発露させるのですね。

頭で考えるという次元ではなく、
心や魂のレベルで表すことができれば、
それは相手の心や魂のレベルに響くことになります。

いやいや仕事やビジネスをしている状態では、
相手に伝わりません。
それが良いサービスであったとしても、です。

では、どうすれば、
そうやって自己表現や自己解放をすることができるのだろうか、
ということですが、
心に湧いてくる想いを感じ取るところからスタートするのかなと思っています。

嬉しい、
悔しい、
楽しい、
ワクワクする、
怖い、
ドキドキする、
悲しい、
そわそわする、
などなど、

込み上げてくる感情をキャッチし、
その感情や想いの発露に素直になってみることでもあります。

僕たちは機械ではないし、
完璧な存在ではないし、
合理的ではないこともたくさんあります。

仕事がもっともっとアートや自己表現の領域と混じり合っていくのだろうなと感じます。

機械的なパラダイムとそれが指し示す達成の意味合いが、
大きく変わってきている流れの中を生きているなぁ、
という実感があるのですよね。

<まとめ>

■自分の内側にあるものを解放する、自己解放へと向かう社会の中の大きなうねりを感じる。

■自己表現や自己解放を仕事と重ね合わせるような時代になってきている。

■機械的なパラダイムの終焉と、
生命的なパラダイムの勃興の中で、
仕事が生命的、芸術的なものへとシフトしつつある。

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