読んでいない本について堂々と語る方法
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ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』もおもしろい本でした。
大学教員であれば、勇気づけられる1冊かもしれません(笑)
著者のピエール・バイヤールは、パリ第8大学教授で精神分析家ですから、とても真剣に、読んでいない本について堂々と語る方法を教えてくれます。
まぁ、それはいいとして、
世の中には読みたくても読めない本がたくさんあります。
書店に行っても、図書館に行っても、どんどん新しい本が出され、必読書やベストセラーは増えていきます。
一方で、古典は古典としてずっと残り続けますし、どれだけの時間があったらこれらの本を読むことができるのだろうと感じるかもしれません。
専門分野の本だけでも膨大で、教養となるような本を読もうと思ったら、それはもう時間がいくらあっても足りません。
そう、どう考えても、すべての本を読むなんて無理です。
そして、その必要もありません。
読書についての不都合な真実というのはいくつかありますが、
・すべての本を読むことはできない
・何かを読むということは何かを読まないということを選択している
・読んでも忘れる
・知識を得れば得るほど自分のオリジナリティがなくなる
・他人に思考を委ねて思考停止になりやすい
などが挙げられます。
本を読むと影響を受けてしまって、自分のオリジナリティや創作が弱くなってしまうのですね。
そして、実際、教養人の多くは本を読んでおらず、本を読んでしまっている多くの人が教養人ではない、ということを明かしちゃってます。
いやぁ、これが言えるのはかっこいいです。
そう、
本を読むのではなくて、読んでいない本について堂々と語ることができるのが、ある意味、教養人です。
本の書評を読んだり、
目次を見たり、
著者のことを知っていたり、
知の流れや系譜についておおよそのことを知っていたり、
関連分野のことを知っていたり、
知識体系の全体像を見通していたり、
自分である程度言葉を紡ぐことができたりすれば、本自体を読んでいなくても語れてしまうのですね。
いやむしろ、本を読まずにどれだけ語れるかという話でもあります。
よく、「読んだ本の内容を覚えていられないんです」と相談を受けますが、そもそも覚えておく必要があんまりないと答えています。
本の内容を覚えることに意味があるのではなく、それを通して自分が考えたことの方に意味があるので、忘れてしまうようなことは大して重要ではないとも考えられます。
タイトルだけ読めば、本文を読む必要がない本というのは、実際に世の中にたくさんあるもので、本は読まなくていいことがわかっていると、だいぶ楽です。
ピエール・バイヤールが勧める、読んでいない本について堂々と語る方法のポイントは、
1.気後れしない
2.自分の考えを押しつける
3.本をでっち上げる
4.自分自身について語る
と、まぁ、無茶苦茶なことを挙げているように見えますが、これが本質です。
聞きかじった情報をもとに、知のマッピングをつくり、そして自分の言葉で創造する。
なんともいい加減に聞こえますが、そもそも読書という行為がどれだけいい加減な行為で、読書の弊害をわかっていれば、本を読まずに語る生産的な行為の価値はもっと認められてよいでしょうね。
<まとめ>
■教養ある人とは、たくさん本を読んでいる人のことではない。
全体を把握していて、適切に知や自分のいる場所を位置づけられる人のことである。
■読書の限界と弊害を認識して、読んでいない本について堂々と語る力をつけることが大切である。
■本は単なる情報の媒介物に過ぎず、自分の考えや創造性を侵食するものでもあるので、自分オリジナルのものを創るためには、本を読んではいけないことも知っておく必要がある。