学び直しの喜びを思う(『学び直しの現象学』から)

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社会人になってみて、
あぁ、もっと大学で学んでおけばよかったなぁ、
という気持ちになったものですが、
それはどれくらい一般的な現象なんでしょうかね。

社会人が大学院で学び直すという現象とその意味について、
インタビュー調査をもとに明らかにした本書を読んでいて、
あの学びの歓び、というのは、
なんとも形容しがたいものがあるなぁ、と思いました。

今でも、
研究を通して、自由に学んでいるともいえるのですが、
会社を退職してからの大学院生という時期は特別な時間でした。

何を学ぶか、
もそうですが、
誰と学ぶかという環境も重視して、
大学院に進学した自分にとって、
京都の時間の流れと学問の世界の広大さに触れたあの経験は、ゆったりとした深みにただ身を任せるような感覚がありました。

圧倒的に何も知らなかったので、
こんなふうに考えたり、深めたりするのか、
というのも新鮮で、全然違う世界にきたなぁ、というのが嬉しかったんでしょうかね。

やりたいことをやって、
安心して学びに身を委ねられたのは、
学生という立場ゆえのことだったのだろうと思います。

しんどいことも多かったですけどね。

さて、本書では、
現象学的アプローチの説明も多くて、
社会人の学び直しについて、もっと分厚く記述してほしいなぁ、と思うものの、
あの頃の感覚が呼び戻されるという意味では、
筆者が目的にしている「触発力を持つ現象」を提示することは成功していますね。
何がって、あの喜びがリアリティをもって伝わってきますから。

特に修士の2年間の学び直しは、学び方を学ぶという学び直しであって、そんなことを改めて思ったりしました。

学び直すことの楽しさや歓びは、こんなもんじゃないと思いつつも、じゃあ、どこまで言語化できるのかというと、なんかうずうずしますね。

”もう、学ぶ楽しさに尽きますよね。勉強ってさせられると嫌なものじゃないですか。生まれて初めてほんまにやりたい勉強、自分でやりたいと思ったことをやる楽しさっていうんですかね。至福の二年間ですよね、学ぶ。大変なんですけど、大変ななかでも、本当に楽しい二年間をすごさせてもらったなっていうふうに思います。もう私はお金に換えがたい二年間やったような気がしますね。”(p.113)

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