100分de名著のローティ「偶然性・アイロニー・連帯」がわかりやすい
これは面白かったです。
気にはなっていた、ローティ。
NHKの100分de名著で取り上げられる時に、
話題になっていて、
自分もこの機会に学びたいと思っていながら、
ようやく読めました。
アメリカのプラグマティズムに関心があり、
分断やポピュリズムを乗り越え、連帯可能な社会を目指すための「新しい哲学」ということで、
なぜ、偶然性、アイロニー、連帯の3つのキーワードなのか、
とてもわかりやすく解説してくれています。
偶然性
アイロニー
連帯
この3つのキーワードの関係性もまったくピンときていなかったのですが、理解してみると、なるほどと思えます。
私たちの言語も思想も偶然性の産物であり、
真理や必然性の探究に向かうのとは違うやり方で、
私たちの社会のあり方や生き方を模索する。
そして、それは、
絶えず批判にさらされており、
他者の批判にも、自己批判にも開かれているところに、
アイロニーが関わってきます。
私自身は、省察という概念の方がしっくりくるわけですが、
ローティに言わせればアイロニーであり、
ここには語彙(ボキャブラリー)を豊かにしていくことで、
社会のありようを記述できる可能性が広がっていくというわけですね。
そして、連帯。
生まれそなった徳や性質、本質によらずに、
偶然性とアイロニーによって、
私たちはつながることができる。
本質主義に陥ることなしに、
私たちの語彙や会話が偶然性の産物であることを認識し、
会話を途切れさせないことによって。
ローティの思想で興味深いのは、
リベラル・アイロニスト
に関する部分です。
一人の人間の中には、
正しい建前と正しくない本音があり、
それらが併存していることがあってよいという部分です。
本音と建前を使い分けてよい、
私的に思う正しくない部分はあってよい。
インターネットやSNSの発展で、
不適切な発言や思考はなんでも叩かれる時代にあって、
私的な思想や発言が守られる空間をいかに確保するかがむしろ問題になっているという視点には、なるほどと思わされます。
チャットなどの個人間のやりとりも暴露され、
炎上する時代にあって、
安全で安心なコミュニケーションというのはますます難しくなっているのかもしれません。
これは、
医師や法曹のプロフェッショナリズムに関する問題にも関わる面があり、
本音と建前はあってよく、社会的に害をもたらさなければ、
個人の内面は守られるのがよいという視点にもなります。
現代社会におけるいろんな問題にヒントをもたらす考え方が、
わかりやすくまとめられており、必読です。
"そんなリベラルなユートピアの市民に必要なのが、「自己の偶然性」の認識です。一緒にやっていく人同士のあいだでは、自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されたりする可能性があると認識する。
つまり、それぞれが変わりうる存在であり、必然に固執するのではなく偶然に開かれていることを確認する。そうやってお互いを改訂されることに対して開きながら、どうにかしてときには手を携える。そこに、連帯の可能性や必要性が出てくるのだとローティは言います。
つまり、「必然的な本質を共有しているわれわれだから、わかるはずだ」ではなく、むしろ本質など持たない、互いに偶然的な存在であるからこそ、何かしら一緒にやっていくことができるという可能性が出てくる。
ここが、偶然性から連帯の契機が出てくるという、このあとの議論につながる部分です。"