教育の失敗は教育者の内面の失敗である
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講師の説明はわかりやすい、
講師の声も大きくて聞き取りやすい、
それなのに、なぜか響かない、っていうことはありませんか?
言っていることは頭ではわかるんだけど、どうもなぁ、もしくは、サラサラと流れるような感じ。
教える側からすると、いいと思って言っているのに、どうも受け取ってもらえない、相手が動かない、という状態です。
教育者側からすると、
「いい話でした」
「わかりやすかったです」
「参考になりました」
とは言ってもらえるのだけれど、かといって、行動変容や意識変容がどうも生じていないような感じ、です。そのくせ、他の人が同じような話をしたら、その人の行動がガラリと変わるなんてこともあります。
え、なんで、自分が言ったら動かなかったのに、あの人の話では動くの?
って感じるかもしれません。
アドバイス内容や教えている内容、知識、さらには、わかりやすさ、論理的な説得力、聞き取りやすさ、などとは違った次元が、成人の意識変容や行動変容にはあります。
場合によっては、言っている内容や説明の内容はよくわからないけれども、なんか熱くて、心に響いて、自分もやってみようと思って突き動かされちゃった、というようなことがあります。
その人の言葉で話しているか、オーセンティックな自己が現れているか、話し手の心が震えているか、心や魂からその話をしているか、ということの方が、わかりやすさや論理的な説得力より影響を与えたりします。
話し方や伝え方の技法やノウハウも大事なのですが、それ以前に、その人のあり方が相手に伝わります。
自分を隠して表面的な話をしても、いい話でした、わかりやすかったです、ということに止まってしまうものです。
自分と相手の間に、真の自己の次元で人間関係を築くこと、関わりを持つこと、それが教育関係のベースにあります。
教育の失敗は、教育者の内面の失敗である、というのが、P.J.パーマーの導き出した洞察であり、そのため、あらゆる教育活動はスピリチュアルの次元を含むとされます。
これが意味するところは、だいぶ深くていろんなものを含んでいるのですが、それはまたお伝えできればと思います。
<まとめ>
■説明のわかりやすさ、話の聞き取りやすさ、そういった次元とは違うところで、成人の意識変容や行動変容が生じる。
■話し手の熱や想いに突き動かされて、意識や行動が変わるということがある。
自分の言葉か、話し手の心が震えているか、心や魂からの話か、オーセンティックな自己が整っているか、といった話し手の内面が大きな影響を与える。
■教育の失敗は、教育者の内面の失敗である。まず本来の自分を出せなければ、相手は動かない。
教育者はマシーンであってはならない。あらゆる教育活動はスピリチュアルの次元を含む。