家族の幸せを大切にし続けながらの発展
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人生の半分は、大切なものを見つけるためにあり、
人生の半分は、大切なものを大切にし続けるためにある。
大学生の頃に出会ったこの言葉には、とても感銘を受けて、今でも大切にしています。
自分の人生で何が大切かわかったら、それだけで人生の目的の半分は果たしたといえるのかもしれないと、大学生の頃に思ったものです。
30歳くらいまでにそれがつかめたらいいなと思っていましたが、僕の場合には、家族、友人、人間関係の豊かさが大切だと、20代の頃に思うようになりました。
人生における最高の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである
by サンテグ・ジュペリ
という言葉にも影響を受け、家族の幸せを大切にできたら、それは幸せかもしれないとも思います。
何者かにならずとも、何か大きなことを成し遂げずとも、家族の幸せこそ、自分が大切にすることなのではないか、とも思い続けて今に至ります。
本当にそれでいいのか、ということは何度も自問自答しながらですが、不思議と自分の中の根底には家族の幸せがあります。
もしこれが、自分にとって大切なものだとしたら、残りの人生は、これを大切にし続けることだともいえますね。
そしてそれは、容易そうに見えて、そうでもありません。
かといって、必要以上に難しく考えることもないようなものです。
あたり前のことをあたり前にするということでもありますから。
自己実現、
自己超越、
家族の幸せ、
社会への貢献、
それらはきっと、1つにまとまって境界線のないものとなり、その状態で大切にできると思います。
自己実現と家族の幸せは矛盾せずに統合されたものになりますし、自己超越と家族の幸せもまた矛盾せずに統合されたものになります。
仕事か家族かという二項対立を超えて、
家族を含んだ仕事、
仕事を含んだ家族、
という1つのものに統合されて大切にできるものだと思います。
そうやって考えていけば、人生の半分は自分にとって大切なものを見つけることであり、人生の半分は大切なものを大切にし続けることであるというプロセスは、様々なものを統合しながら豊かにしていく道のようにも思います。
まだ旅の途中ではありますが、きっととてもシンプルに考えていけば、自分にとっての人生は、家族の幸せを軸に据え続けるものになると感じています。
<まとめ>
■人生の半分は、自分にとって何が大切かをつかむためにあり、残りの半分はそれを大切にし続けることにある。
■大切なものは意外と身近なところ、あたり前のところにあるのではないか。
自分にないものを探すよりも、すでに手にしているものの中にあることも多い。
■大切にし続けるというプロセスは、単なる守りのプロセスではなく、二項対立を超えて、統合・発展を続ける生成的なプロセスである。